「三線」は 中国語

津波三味線

2009年09月02日 20:23

 今日は 忙しかった 須崎いって 銀行をまわってといろいろあり 明日9月3日はお店が休みの為もあったのだが・・・・・・・・・・・
やっと おちつきました。
 それで ブログを書いてます。
本日は 以前の琉球新報 ?年 ?月29日発行の 論壇の欄(糸洌 長幸)から

『三線』は 中国語

「三味線」が サンシンの正確表記

 このところサンシンを「三線」と表記した出版物やCDなどが店頭で多数目に付く。過日「三線」表記を
検証と題し、日本語として「三味線を」の見出しで三月十四日付の本誌朝刊の海外ウチナー版にハワイパシヒィックプレス社の仲嶺和男社長が「三線は中国語、沖縄方言化したサンシンは日本語とみなすべきだから
、三味線という漢字を使用するのが正しいと思う。私の新聞社の記者や寄稿者にはサンシンの表記をサンシン『三味線』と書くよう指導している」と述べておられた。そのご意見に私も大いに賛成である。
 私の手元の資料に琉球音楽史年表があり、その付録に尚益王時代「三味線主取を置く。名工知念主取となる」という当時の王府役職の辞令なる起筆があって、二百有余年前からすでに三味線という文字が使われている。今から七十九年前の一九二五年に東京音楽学校(現東京芸大)で琉球古典音楽を演奏したという山内盛彬氏が著した「琉球音楽芸能史」の論説にも、随所に三味線という文字が使われている。
 また、昭和四十四年ごろ、琉球古典音楽の研究のための資料として使った沖縄風土記社発行の「琉歌集」(島袋盛敏著)を調べたら三味線という文字を使って詠んだ琉歌が数々ある。豊見城王子朝尊が詠んだ「三味線ぬ音声聞きぶしゃどぅ弾ちゃる、わが心までぃん、ぬゆでぃ弾ちゅが」とか、宜野湾王子朝祥が詠んだ琉歌「朝夕むてぃ遊ぶ三味線ぬ歌声聞けば思事ん忘してぃ行ちゅさ」また、糸満里親雲上が詠んだ「くぬ島ぬ歌ぐぁー思い切っちあびぃてぃ、南風原三味線に乗してぃんだな」等々、数ある琉歌には、三線というもじでなく三味線という字を使って詠んでいる。
 昭和五十一年三月一日発刊の工工四教本【大濱安伴師匠の八重山古典民謡声楽譜付楽典工工四発刊に寄せて】と題し、その発刊の祝辞として元県文化財保護審議委員会無形文化財会長であらてた川平朝申氏も三味線という文字を祝辞文に何ヶ所も使っておられる。
 三線をサンシンと方言読みできないことはないが、むしろ三味線と表記して長年にわたりサンシンと発音してきているのではないかと考える。私の考察では、牧港をマチンナトゥ、火の神をヒヌカンのように「ミ」を「ン」と発音するとか、清明をシイミイーのように、e が i への方言変化によって、シャミセンが→シャンシンに。医者を方言で「イサ」と言うからシャはサと発音されシャンシンがサンシンになり、恐らく三味線と書いてサンシンと発音してきたのではないかと私は考える。
 三線呼称は「御座楽」楽器群の中国伝来呼称説があり、察度王の時代に福建省から輸入した当時の中国語の楽器名の呼称。赤犬子以来、発展継承してきた誇りあるかつての琉球王国の格調高い琉球音楽は江戸城や皇室での御前演奏とか何百年という大和との交流変遷の歴史にかんがみ、サンシンの表記は中国語の三線とせず、サンシン(三味線)という表記にすべきであろう。


 


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